上の図表に日本詩歌の変遷をざっくりと整理していますので、まずご覧ください。
そのうえで、私が理解する要点を以下に三つ挙げます。
さて、短詩型文学である短歌や俳句はその取っつきやすさから、ピークは過ぎたといえ今も親しんでいる方は大勢いらっしゃいます。
しかし(あくまでも個人的感想であると断っておきますが)、私はこれら現代の短詩型文学にほとんど魅力を感じません。なんとなれば現代短歌は重くて湿っぽい、言うなれば「漬物石」のような重さで共感を求める態度に引いてしまいます。また俳句はそれと正反対に極めて軽い、しかし軽すぎて季語がなければ川柳となんら変わらぬ薄くて筋がない「イカソーメン」。芭蕉が到達した高みとやらはいったいどこに行ったのでしょう?
私が好むのはやはり詩歌伝統の本流「和歌」です。しっかりとした筋も歯ごたえもあり、文芸を愛する者の知的好奇心を今も十分に満たしてくれます。しかし一方でこの「筋」が硬すぎて、近代人に敬遠されたのも事実。
でも詩歌は進化・発展するのです。なにより私たちは「玉葉集」をそして「芭蕉」を知ってしまった今を生きる日本人です。和歌の「心」は変わらずに、日常の風景を思うまま柔らかく表現することだってできる、いややらなければ貫之はじめ歴々の歌人に顔向け出来ないでしょう。
古典和歌はこれから再び進化します。それは青空を舞う白いカイトのように、優雅に美しく。
私たち古今和歌所は詩歌の高みを今一度目指し、新しい和歌の歴史をつくることを、ここに宣言します。
こんにちは、わたくし「古今和歌所」の寄人、和歌DJうっちーこと内田かつひろと申します。生まれと育ちは須佐之男命はじめ柿本人麻呂また後鳥羽院など和歌との因縁深い島根県です。
大学で日本美術を学び、松田祥幹に師事して伝統工芸「蒔絵」に打ち込みました。琳派等に倣って伊勢や源氏物語を図案にしているうち、共通する「もののあはれ」の原点は「和歌」なかでも「古今和歌集」にあると悟りました。以後、心から和歌に耽溺し今をもってその道を真っ直ぐ進んでいます。
私は国文学者でもなければ専門歌人でもありません。しかし和歌に寄せる愛と憧憬はだれにも負けぬ自負と誇りを胸に「古典和歌を現代のエンターテインメントとして遊びつくす!」と、自由闊達まじめに取り組んでいます。
この場で私が最も申し伝えたいことは、私は古典「和歌」を単に研究や鑑賞の対象としているのではなく、あくまでも令和という現代に新たな心で「詠む、書く」という創作物として捉え、制作および指南(共有)を目的として活動しているということです。
ぜひみなさま、一緒に和歌のそして風雅の道を楽しみましょう。