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猿啼奥出雲集

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「猿啼奥出雲集」とは

和歌にこめた思い

「やまとうたは人の心を種としてよろづの言の葉とぞなれりける」
 
古今和歌集仮名序の有名な冒頭文です。
私にとっての心の種、それは故郷「奥出雲」への希求心です。
父母、友人そして雪月花、これらをすべて捨てて私は旅へでました(ようするに学業そして就業のための上京なのですが…)。
 
二度と帰らぬ思い出、どうにもならない現実。理解者もおらず、自分自身に罪を感じる始末です。
そこで出会ったのが和歌でした。
 
和歌とはまるごと希求心で出来ています。その対象が四季もしくは恋であるかの違いだけ。
平安歌人たちは私のよき理解者となり心の先輩となってくれたのです。
 
傷心は消えることはないでしょう。しかし、和歌の道を行くことで前向きな傷に変えたい。
この一心で、私は和歌を愛すのです。そして先輩に恥じない歌を残したい。
 
まだまだ旅の途中ですが、よろしければ愚草をご覧ください。

新しい古典和歌の歴史をつくる!

上の図表に日本詩歌の変遷をざっくりと整理していますので、まずご覧ください。
そのうえで、私が理解する要点を以下に三つ挙げます。

  • 万葉集、古今和歌集から始まった日本の詩歌文芸は、元禄時代の松尾芭蕉によってその道の頂点に到達した(「猿蓑」は俳諧の古今集とも評される)
  • 明治以後、詩歌文芸は万葉集を理想に仰ぎ「写生」を本分とするようになる。そしてそれは現在まで続く
  • 古今和歌集を源とする詩歌伝統の本流である「和歌」は長らく空白いや絶滅している

さて、短詩型文学である短歌や俳句はその取っつきやすさから、ピークは過ぎたといえ今も親しんでいる方は大勢いらっしゃいます。
しかし(あくまでも個人的感想であると断っておきますが)、私はこれら現代の短詩型文学にほとんど魅力を感じません。なんとなれば現代短歌は重くて湿っぽい、言うなれば「漬物石」のような重さで共感を求める態度に引いてしまいます。また俳句はそれと正反対に極めて軽い、しかし軽すぎて季語がなければ川柳となんら変わらぬ薄くて筋がない「イカソーメン」。芭蕉が到達した高みとやらはいったいどこに行ったのでしょう?

私が好むのはやはり詩歌伝統の本流「和歌」です。しっかりとした筋も歯ごたえもあり、文芸を愛する者の知的好奇心を今も十分に満たしてくれます。しかし一方でこの「筋」が硬すぎて、近代人に敬遠されたのも事実。
でも詩歌は進化・発展するのです。なにより私たちは「玉葉集」をそして「芭蕉」を知ってしまった今を生きる日本人です。和歌の「心」は変わらずに、日常の風景を思うまま柔らかく表現することだってできる、いややらなければ貫之はじめ歴々の歌人に顔向け出来ないでしょう。

古典和歌はこれから再び進化します。それは青空を舞う白いカイトのように、優雅に美しく。
私たち古今和歌所は詩歌の高みを今一度目指し、新しい和歌の歴史をつくることを、ここに宣言します。

内田かつひろ/和歌DJうっちーのご紹介

こんにちは、わたくし「古今和歌所」の寄人、和歌DJうっちーこと内田かつひろと申します。生まれと育ちは須佐之男命はじめ柿本人麻呂また後鳥羽院など和歌との因縁深い島根県です。
大学で日本美術を学び、松田祥幹に師事して伝統工芸「蒔絵」に打ち込みました。琳派等に倣って伊勢や源氏物語を図案にしているうち、共通する「もののあはれ」の原点は「和歌」なかでも「古今和歌集」にあると悟りました。以後、心から和歌に耽溺し今をもってその道を真っ直ぐ進んでいます。
私は国文学者でもなければ専門歌人でもありません。しかし和歌に寄せる愛と憧憬はだれにも負けぬ自負と誇りを胸に「古典和歌を現代のエンターテインメントとして遊びつくす!」と、自由闊達まじめに取り組んでいます。

この場で私が最も申し伝えたいことは、私は古典「和歌」を単に研究や鑑賞の対象としているのではなく、あくまでも令和という現代に新たな心で「詠む、書く」という創作物として捉え、制作および指南(共有)を目的として活動しているということです。

ぜひみなさま、一緒に和歌のそして風雅の道を楽しみましょう。

「古今和歌所」